沖縄・納骨式(シーメー)の歴史

沖縄・納骨式(シーメー)の歴史

沖縄の納骨式は古くから伝わる風習で、シーメーと呼ばれるこの儀式は、沖縄県独自の文化と信仰に根ざしたものです。

その中でも、先祖崇拝と家族の絆を大切にするという信仰は、沖縄県民のアイデンティティとなっています。東南アジアと交流を持ち、その文化を取り入れたことが背景にあります。また、沖縄は日本本土とは異なる独特の自然環境にあり、農業を基盤とする地域社会が発展しました。そのため、家族や地域共同体を支える精神的な基盤として、シーメーが生まれています。

シーメーの起源ははっきりとは分かっていませんが、14世紀に成立したとされる琉球王国時代から行われていたと考えられています。石造りの横穴墓が一般的でした。これは、家族全員の遺骨を収めるための共同墓であり、先祖を祀る場所として重要視されていました。

シーメーは、故人が亡くなった後、おおよそ3年後に行われる納骨式で、遺骨を清めるために一定期間保管した後、家族の墓に安置します。この期間を「クヮンチャ」と呼び、その後、シーメーの儀式が行われ、遺骨はフワンと呼ばれる壷に納められ、家族の墓に安置されます。

沖縄では、死者の霊は天国や地獄に行くのではなく、先祖の霊と共に家族や地域社会を守り、コロニーの存在をもたらすとされています。そのため、シーメーは死者を偲ぶだけでなく、生者と死者がつながり、家族や地域の絆を深める重要な役割なのです。

沖縄の納骨式は、歴史の中で地域や時代によって変化してきましたが、現在も沖縄県民にとって大切な家族行事として受け継がれています。